心中の道連れ 16
「じゃあ、俺寝るー」
ごちそうさまーと言いながら、ジョンインは丼とグラス、箸を持ってテーブルを立ち、シンクに置くなりさっさと部屋を出て行こうとする。
「お前洗ってけよー」
俺が声を掛けると、ドアが閉まるぎりぎりで、あとでー、と返ってきた。
「ったく」
と言いつつ、俺は目の前のギョンスとふたりきりになったことに自分の意識が向くのに、気付いていた。
残りの麺を、なんとか無心で食べ切る。
ギョンスもペースを変えず、食べ続けていた。
とうとうなにも口に運ぶものはなくなった。
俺は箸を丼の上に置き、ごちそうさま、と呟く。
うん、と、ギョンスの声が聞こえる。
丼に残った汁を見つめる俺は、逡巡する。
ずるずる、ずるずる、というギョンスの麺をすする音が、鼓膜を揺らす。
グラスを取って、中の水を飲んだ。
氷がからから鈴のように鳴る。
やけに、静かだ。
とん、というグラスを置く音まで、なにか意味があるように響く。
俺は上目でギョンスを見た。
するとちょうどもぐもぐ口を動かすギョンスも、俺を上目で見るところだった。
つまり俺たちは、目が合った。合ってしまった。
そらせなかった。
ギョンスの色の濃い、丸々とした黒目を、久しぶりにじっと見た。
その決して太くはない喉の中を、今噛んでいたラーメンが通って行った。
俺は、恥ずかしかった。
どすっぴんだったし、肌も多少吹き出物ができていた。
ギョンスのような顔に見つめられるほどの価値ある顔をしていないと、俺は思った。
女の子みたいなこと考えてるな、と自分でも思う。
しかし商売柄、いたしかたない部分もあるのだ。
どうしても自分の顔を、商品として考えてしまう。
見られてよいものか。
人に悦びを、与え得るものか。
生まれつきなにもしなくともそういう顔をした相手を前にして、俺は羞恥と嫉妬と羨望が入り混じった思いでいっぱいになりつつあった。
本当はそんなもので満たされていたわけではなかったのに、混乱とともに自己卑下に陥った。
俺なんか。
唇を舐めて、どうしたらいいか、考えた。目を合わせたまま。
……なにか、言わないと。
「おいしかった、ラーメン」
変に声がうわずった。顔が赤くなりかけている。
「うん」
瞬きもしないで、ギョンスは答える。
「わざわざさんきゅー」
「うん」
「……ずっと、食べたかったから嬉しいよまじで」
「…うん」
「……疲れてんのに悪かったな」
「…いや…だいじょぶ、別に」
「……また、食べたい」
「…わかった」
俺たちの間にはテーブル。
テーブルの上には丼、箸、グラスが2組ずつ。ミネラルウォーターのどでかいボトルがひとつ。
これを取り去ったら。
どうなる?
どうなるもなにも。
俺はどうしたいんだ?
ギョンスは?
そう、なにより、ギョンスは?
「…………ジュンミョン兄さん、デートだと思う?」
ギョンスの低い声が、さっきいそいそと出掛けて行ったリーダーについて尋ねる。
「……じゃない?」
「…だよな」
一瞬視線を落とし、すぐに戻して俺の目を射る。そして分厚い唇を開く。
「…………お前」
「ん?」
「……お前は、デートとか…しないの?」
「………し、てないなあ、最近」
「……そう」
「………お前、は?」
「……してるわけないだろ、こんなスケジュールで」
はは、と自嘲して笑うギョンスを目に映しながら、俺はこの会話の意味を考える。
「……最近お前と、……話してなかったな」
ギョンスの声がまた一段下がる。
俺の心臓が音を立てて存在を主張する。
「……そう……だったかな」
「…そうだよ」
その目に恨みがましさが混じるのを俺は認める。
かすかに拗ねたような表情。
……勘違いじゃない。
どくん、どくん、どくん。
テーブルの上に置いた手の、掌が汗をかいている。
「……お前の声聞いてないと、…なんか変な感じ」
瞬きを繰り返しながら、俺はギョンスの顔から目を離さない。
「………なんでだろ」
深い湖のような瞳に落ちそうになりながら、俺の中でなにかが決壊しそうだった。
日が短くなった。
部屋全体が、赤を一滴、落としたようだった。