日記 2016.3.10
私は映画「スタンド・バイ・ミー」を見ると必ず泣いてしまう。
昔からしょっちゅうテレビ放映もされていた作品で、見たことがある方もたくさんいるだろうと思う。
私も昔から何度も見てきた。ほとんどが部分的にだが。
好きな映画というのとは違う。いや、よくできた映画で、もちろん好ましく思っているのだけれど、好きで何度も見てしまうとか、そういうことではない。
誰にでもあるはずだ。
自分に何かを刺す物語。いわゆる琴線に触れるというやつだ。
主人公とリバー・フェニックス演じる友達それぞれの境遇が本当に胸に迫る。
あの、食卓に立ち込める不穏。よくできた、性格も優れた兄の弟へのフォロー。それをすべて無視する両親。兄のみへの溺愛と関心。兄はよく分かっている。弟が優れた想像力と文才を備えており、それらは自分の持つもの以上に秀でたギフトかもしれないということを。この兄が死んだらこの家はどうなるのだろう。そんな懸念は現実となる。主人公は夢に見る。兄でなくてお前が死ねばよかったのに。泣きながら飛び起きる少年に、リバー・フェニックスは優しく強く語りかける。その才能を伸ばすよう励ます。自らもシビアな家庭環境を抱え、誰も自分を知らぬ世界に行きたいと泣く。本当に素質というものを備えながら苦しみを抱えるふたりの少年が、森の中で肩を寄せ合い涙を流す。
私はこの画面を泣かずに見ることができない。
あの、どこにも逃げ場がないと感じる心地。
まだ幼いためここにいるしかないと日々歯を食いしばって生きる気持ち。
私は思い出す。家に居場所を感じずふらふらと外に出て、それでも行き場はなく、ただ歩きながら見たその空が、美しくオレンジとピンクに染まっていた夕方を。
もうすぐ家を出られる。そう思いながら高校までを生きてきた。
こんなことを書いているが私は決して不幸な生い立ちでもなんでもない。
だが典型というものに収まらない人間性と人間関係というものを小さい頃から身に染みて生きてはきた。
同級生と心から話が合ったり理解し合ったりしたこともなかった。
私は世界でひとりぼっちだった。
最後、大人になって成功した作家の主人公が綴る。
もう、あんな友達を得ることはないだろうと。ああ、もう二度と、と。
そのときのリチャード・ドレイファスの表情。外で遊ぶ自分の息子ふたり。
優れた映画というのはすべてを含有している。
だから私は泣くしかなくなる。
ちなみにこれを書きながら、あのふたりを思い出してまた泣いている。